日  誌

辺野古 阻止行動船カンパ
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 上記、カンパはすでに「命を守る会」に手渡し致しました。
今後、順次、カンパをいただいた団体名、また個人についてはイニシャルで報告していこうと思っています。
ありがとうございました。m(__)m

辺野古と共に!国会前座り込み
 国会座り込みの様子を毎日更新!!
1月22日(土)


2月日(土)


 

「街」ライブ

 PM7:00頃〜

入場料 1000円



2005年1月D
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1月19日(水) 日誌
 何とハサミを研ぐ新かめさん  働くチヒロちゃん
 昼食は肉じゃが、納豆、お茶うけ大根  本多さんも一緒に食べます
会長が国会前座り込みのパネルを完成 石神井川で遊ぶカルガモ一家
 リンタロウの友、石川石川さん  パソコンを直す新カメさん
 
 夕食は揚げ鳥のネギソース掛け
 北海道の作業所の天然だし・ハガキを「街」でも売ります
 デザートは杏仁フルーツ
19日の国会前、座り込み
 今日の参加者は 4人、カンパは300円。
会長があたらしいパネルを作りました 早速、国会前へもって行きます 座り込みの日数が掛けられる!!
今日は写真がいっぱい貼ってあるので、ゆっくり見ていく人も多い
←高田さん、登場


      「座り込みノート」に、
      ひとことメッセージを書く→
←白さんが通りかかる



      高田さんのメッセージ→

1月18日(火) 日誌
明日の肉じゃが用にジャガイモむき 会長からの差入れ  昼食は豚汁と塩鯖
 アサバさんが時計を直す  ハルコさんからの差入れ  リンタロウと遊ぶ保谷さん
 夕食はカキ・鶏鍋。国会帰りの会長も参加
18日の国会前、座り込み
 デジガメを忘れたので、画像がありません m(__)m
座り込み参加者9名、12433円
今日は辺野古から帰ってきた菊地さんと田場さんより、現地での様子を
生き生きと伝えてもらいました。”単管ヤグラの上での座り込み”“スパット台船を追い返した時の歓声”
そして 成人式がとてもよかったことなど。
 国会前はいつも辺野古とつながっています。
NHKの番組の改ざん事件で院内集会があり、その帰りに沢山の方が自ら立ち寄って1000円札を次々
カンパしてくれました。「いつもジュゴンの家の日誌みてますよ!」と声をかけてくださり、「また近いうちに
辺野古にいきます」といわれました。辺野古の現在の状況を詳しく聞いて、怒りを新たにしていた二人組みの
女性もいました。この様子をデジカメのバッテリーを忘れ写真でお見せできなくてスミマセン。
 国会前も負けないぞ!!                とみた                       
読谷で「辺野古」訴え 鍋島充さんが早朝に反対運動 
琉球新報 2005年1月18日 火 15:21

プラカードを持ち普天間飛行場代替施設建設の反対を訴える鍋島充さん=読谷村比謝矼

 【読谷】「みんなで反対すればやめさせられる。辺野古に力を」。読谷村高志保に住む鍋島充さん(38)=福岡県出身=が同村比謝矼の国道58号沿いで約3カ月前から、名護市辺野古沖の普天間飛行場代替施設建設に反対する運動をしている。

 毎週月―木曜日の早朝7時ごろから約1時間半、通行車両に向かい自作のプラカードを掲げ、代替施設建設やボーリング調査の中止を訴えている。「通行人の反応は悪くはない。頭を下げたりしてくれる」。地道な活動ではあるが、徐々に手応えを感じていると鍋島さんは話す。

 週末には辺野古での座り込みに参加する鍋島さん。仕事で毎日は辺野古へ行けないため、住まいのある読谷村で抗議行動をすることを思い立った。「向こう(辺野古)で闘っているおじい、おばあを少しでも応援できないかと始めた。読谷でもこういうことをやっていると知って少しでも励みになれば」と話す。

 鍋島さんはこのほど、模合仲間とともに辺野古で続けられている代替施設建設への反対運動を応援する「辺野古とつながる読谷の会」を結成した。強制ではないものの、メンバーの誰かが毎日、辺野古へ足を運ぶように努めているという。鍋島さんは「向こう(国や米国)があきらめるまで運動をやり続けていきたい」と話した。

1月17日(月) 日誌
掃除をするマリちゃん ウエスを切るエミちゃん
 国会の座り込みに行く会長  沖縄物産を売る
 昼食は、中華丼 ワンタン  「街」に遊びに来た青年
 大越・時計鑑定士の日
 いつものように大人気でした  夕食は味噌ラーメン・炒飯
17日の国会前、座り込み
今日の参加者は8人、カンパ4.385円でした。
田場さんが辺野古の報告をしてくれました。ピースサイクルの児玉さんが始めて参加しました
 防衛庁 抗議行動  参加者 約80名
国会前座り込みは12時から4時に変更となりました!
1・16 国立辻つじ反戦流し の新年会

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 闘 春

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宝船と七福神

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本年も宜しくお願いします
辺 野 古 の 海 か ら 作詞・作曲 ヨッシー
♪ マジで頑張って、命がけだって、辺野古の海に基地は造らせない
   この海を守ることで、世界中の友に届け この歌
   辺野古のオジイ・オバァ達が、闘い抜いた8年間
   その思い、胸にきざみ、行くぜ、負けない気持ちカヌーに乗せて

    (※以上、ヒップホップ調のラップで)
1、辺野古の海から あなたに届けたい
 命どぅ宝の本当の意味を知った 僕らには見える未来が  ウォウォー
 戦争なんて ない世界に変えるんだ
 こんなキレイな海を壊すなんて信じられないよ
 新しい時代は 今ここから辺野古から始まる
2、 辺野古の海から あなたに届けたい
   信じていいよ 人間は素晴らしい
  教えてくれた 辺野古で闘う人たちが
 沖縄の心 それは世界を変えるんだ
 こんなキレイな海を壊すなんて信じられないよ 
 新しい時代は 今ここから辺野古から始まる
 こんなキレイな海を壊すなんて信じられないよ
 新しい時代は 今ここから辺野古から始まる
 今ここから 僕らが始める  Woo
♪ (※以下、ヒップホップ調のラップに戻る)
   
マジで頑張って、命がけだって、辺野古の海に基地は造らせない
   この海を守ることで、世界中の友に届け、この歌
   辺野古のオジイ・オバァ達が、闘い抜いた8年間
   その思い、胸にきざみ、行くぜ、負けない気持ちカヌーに乗せて

  Yoh Yoh Yoh Yoh  闘って 闘って 闘って 今日も陽が暮れる
  Yoh Yoh Yoh Yoh 闘って 闘って 闘って 朝日が昇る
     (見て、ウミンチューたちが来た 超カッコイイ!)
  辺野古の海から愛を叫ぶ    
 沖縄・名護・辺野古の美しい海を埋め立て作ろうとしている新しい軍事基地建設を止めさせるために、おばぁたちが座り込みをはじめてから8年と200日以上。その怒りを正面からうけとめもせずに国は、ムリヤリ、かなりボーリョク的に着手し、調査のために建てられた5コのやぐらは、すでに海中のサンゴをふみくだいている。日本の各地で、世界で、この基地を作ることに対し、抗議の声がうずまいているとゆーのに。

 今、辺野古では、陸上での座り込み、海上・海底でのカヌーや船を使った阻止行動がつづけられており、那覇、大阪、京都、名古屋、東京では座り込みなどで辺野古のことを訴える活動が広まっている。これらを通じて辺野古を知り、これをじぶんの問題として重くうけとめた若者たちが辺野古にあつまり「カヌー隊」として活躍しはじめているところだ。

 弟のシュウは、船の免許をとり、「阻止船」を操縦している。巨大な作業船が辺野古に現れた日、通らせまいと、台船の進路に立ちはだかったが、台船は停まらず、シュウの船は何十倍もの大きさのその船に突撃、間一髪転ぷくはまぬがれたという。数年まえまでいわゆる「不登校」だった弟は、幸運なきっかけを得て、沖縄に行き、沖縄のかかえる問題を知り、辺野古のおばぁ達に出会った。おばぁ達に、学校では教えてくれないいくつものことをおそわり、「戦(いくさ)やならん、命どぅ宝(ぬちどぅたから)」とおそわった。これ以上、おばぁたちに、基地を苦しみを座り込むことをおしつけたくない、たった1人になってもここに立って止めよう、命をはってでも、と決めた。しかし、台船にぶつかる瞬間、シュウの頭をよぎったのは「かならず、生きぬいて帰ってきなさい、なにがあっても」という、おばぁのコトバと、大切な人たちの顔の走馬灯。死ぬわけにはいかない。なにがあっても生きていること、それ以上に価値あるものはない。おばぁの言葉の意味すること。弟の死がもたらす悲しみは、おばぁたちをも殺しかねないのだ。

 恋人のユウスケは、カヌー隊で、海上でのすわりこみをするため、名護でくらしている。ある日、仕事をやめ、彼は「辺野古に行こうと思う」と言った。それは、唐突ではあるがまるで必然のようだった。生活=お金のための生活をやめて、イメージに近いほうを選ぼうとしていたユウスケ。辺野古のことは知っていた。基地ができれば、もちろん自然はこわされ、それ以上に人がたくさん死ぬ。ねがいは、ただ、「幸せになること」。だからこそ、目の前に見えている脅威を見てみぬふりをして自分を偽ることはできない。ほんとうに幸せになりたいから、止めに行く。それが、ユウスケのイメージだ。ものすごくシンプルに、「好きな人を失いたくない、悲しませたくない」から、この不穏な世の中の流れを止めるために動く、その中でいま1番焦点になっているのが辺野古だったのである。

 東京の国会前座り込みで知り合ったアユさんは、バッグパッカーを夢見てお金を貯め、その仕事をやめたばかりで辺野古へ行き、今のところ彼女の旅は辺野古でとどまっている。

 カズマサ君は、仕事をやめてから、地元・名古屋と辺野古を行き来し、名古屋では街頭アピールなどで広め、辺野古では、はげしく船酔いしながらも必死で阻止行動をしている。

 サチコは施設局側の作業員との攻防で1度、指を3cmきり、流血したが、今日も笑顔で海に出て行き、カヌーをこいでいる。

 彼らは全員20台だ。若いからと言って失うものがないわけではない。仕事も、恋人もギセイにしてきている。
家族や友人の理解が必ずしも得られるわけではない。経済基盤も保障ももちろんない。
彼らはなにも好き好んで「たたかい」に来ているのではない。それぞれの意志で来ているのは確かだが、闘いたくて
闘っているわけではないのだ。ほんとうなら、好きな人と好きな場所で心おだやかに暮らしたい。
世の中が本当に平和なら、やりたいことは他にもっとある。
 それでもかれらが辺野古に来るのはなぜか。
 どうしても、今止めなければならないから。
 人の命をなんとも思わない人々がゆるせないから。
 命が大切と言うことだけは、どーしてもゆずれないから。

 私自身は東京で店を持ち、そこから発信していくために東京でやることに決めたため、辺野古には行けない。
先日も顔を蹴られるなどの暴行をカヌー隊メンバーが作業員から暴行を受けたとの報道があった。
東京で、はなれた場所でそのようなニュースを耳にすると、怒りとかやりきれなさが体中をうずまいて
いてもたってもいられない気持ちになります。今すぐにでも辺野古に行きたい。
 ケガさせられたり、あるは殺されたり、捕まったり。自分の大切な人がそんな目に、いつ合わされるか分からない状況
の中で、日常をおくらなければならないのが辛い。はなれていて手と足もだせない、叫んでも届かないのが辛い。
 ものすごく個人的な話ではある。
でも、自分の大切な人のいのちが大切なのは、誰でもあてはまるはずである。
自分の周りの人を大切に思うことと、戦争をなくそうと思うことは同じことだ。
大切な人が死んだらイヤだ。だから 戦争はやめよう、基地はいらない。
足りないのは、あと少しの想像力。イラクやアフガニスタンで、パレスチナで、亡くなった人々の周りの気持ち。
周りの人々のきもち。悲しくないわけがない。怒りがわいてこないわけがない。

 もう一度 問いかけます。辺野古の若者たちの「命を守るたたかい」にあなたは何を思いますか。 
 私たちは、辺野古で闘う若者たちの友人・知人・家族として、彼らの生活を支えるためのカンパを訴えます。
彼らが心置きなく行動するためには、1人・1ヶ月の生活資金・5万円ぐらいかかります。5万円×5〜6人を毎月作りたいと思っています。

 東京の「街」では、できるだけ多く地域の人たちが参加してくれるために「100円カンパ」を始めました。
 家族会も結成されました。

 ご協力をよろしくお願いいたします。
 太田武二(命どぅ宝ネットワーク)、ヨッシー(友人)、佐竹周一(友人)、中馬由紀子(友人)、中野高(友人)、富田直子・剛・翔子(家族会)、赤羽則子(家族会代表)、ハネやん(家族会)、末木(家族会)、1/15 現在
郵便局 10020−84023361
赤羽 則子






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